こわさってあるよねって話と、こわさ持ってない人は眩しいなってのと、
こわさを無くしていきたいよなという思考のダラダラとした文章化です。
システムを改善したいけどこわくて出来ない
「これって本当は良くないんだけどなぁ」って思い浮かぶことが結構あります。
もっとこうしたら良くなる、もしくは良くないのは認識しているという状態。
でも「こわさ」を感じるという。どこか怖気づくこともあります。
これ勝手に触ったら怒られるかなぁとか、変にしちゃったら嫌だなぁとか。
みんな実はシステムをより良くしていきたい
変なコードとか手抜きのドキュメントとか怠けてる人とかたくさんいます。
でも、熱意が無いように見えてなんだかんだみんな良くしていきたいんだろうなと思います。
本音を出すと噛み合わなかったり余分にぶつかってしまったり。
面倒な人だと思われたり。
そういうバランスをとっているうちに
それぞれの熱意が伝わっていないだけだっだりするんだろうなぁとか思います。
前へ倣うのは怖くない
人間はなんか変化よりも現状維持に安心感を持つらしい。
なんかどっかの文献か何かに書いてあった。
「こわさ」を回避するためには現状維持が有効です。
何も変えなければ、角が立つこともないし、プロジェクトのお作法に乗っていることになる。
最悪、そのプロジェクトのせい、に出来るし。
「このプロジェクトがクソなんだ、俺は本当はもっとこうしたいんだ」みたいな。
前へ倣っているつもりが雑草を増やしていたりする
前へ倣っていたつもりなんだけど、
従っていたそれはAさんが気まぐれに作ったものだったりする。
なんかよく分からない概念のソースコードや仕組み、申請フローとか。
みんながそれをルールとして従っていくんだけど、
そのルールで嬉しい人がチーム、上司、部下、他部署とか
いつの間にかどこにもいなくなっていたりする。すると思う。
従ってるルールがルールじゃなかったり、適切じゃなかったり。
レガシーが安心という構図
ということで、なんか保守的な気持ちや勤勉さ故に
レガシーなものを増やしていってることってあるのではないかと思う。
本当はそうしたくないのにそうしてしまう。とかそういうの。
本当に怖がっているものは何なのか
じゃあ、一体何に怖がって何のためにそのルールに従っているのか。
とか、考えると怖がっている対象は他人だったり、失敗だったりする。
でも、より良くしようとして怒る人はいないはず。
そして、例えば◯◯さんに怒られるっていうのは、
〇〇さんが自分を怒るっていうイメージをしているに過ぎない。
それが怖さなのかなぁと思うので、極端な話、
怖さを無くせばシステムは改善されていくんじゃないかと思う。
こわさを無くしていく
他人が怖いのは、他人をよく知らないからだと思うので、
よく観察して(客観的判断で)知るか、仲良くなって心理的抵抗を無くすかとかしか無い気がする。
失敗は人間はするものなので、セーフティーネットを増やしていく。
それがテストコードだったりリビジョン管理だったり、なんかそういう当たり前の事な気がする。
ということで、自分に当てはめるだけでなく、
他人の感情とか心理によってシステムの成長は変わると思う。
だから自分だけでなく他人はどうなのかとか、「こわい」のかとか考えてみると良いかもしれない。
時と場合によっては、ウンザリとか面倒臭さとか、感情は違うけど。
僕はとりあえずこわさ無くすために色々やって健全にいきたい。
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