時間は絶対的な概念であるからこそ危険でもある。
なんとなく、思い出したので昔話を書いてみる。
まえがき
よくあると思うんです。
「3年働いてようやく仕事が分かる」とか
「40代になったら部長ぐらいには」とか。
ああいった類の話は一理あると思うんですが、
危ない考え方でもあるなぁと個人的には思ったりします。
率直に言うと、「歳とか関係ないよ」といつも思ってる。
回想
僕は高校時代サッカー部にいた。
1年生の時の3年生の先輩はとてもうまかった。
浮き球を胸トラップしてノーバウンドでボレーシュートを決めたり、
ヘディングの競り合いでは高い打点で必ず勝ったり、
針の穴を通すように欲しいところにパスが来たり。
とにかくうまかった。
中学時代も僕はサッカーをしていて、その時の経験から
「高校3年生になったらあのぐらいは出来るようになってるハズだ」
と思っていた。
実際はどうだったか
高校3年生になった時、僕はどれも「1年生のときに見た3年生」が出来ていなかった。
当然、ベンチウォーマー(補欠)である。
別にサボっていたわけではない。
真面目に練習し、2年間を過ごしてきた。
どうしてこうなった
その時始めて分かった。
「2年間同じ経験を積んでも同じ成果は上げられない」んだと。
中学時代うまくいっていたのは、比較的身体能力の差や技術差があらわにならなかったからだった。
ドラクエみたいなのを考えてたのがよくなかった。
同じ経験値をつめば、同じようなレベルになり、同じような呪文が使える、と。
それが良くなかった。
僕は「浮き球を胸トラップしてノーバウンドでボレーシュート」する練習はしなかったし、
「ヘディングの競り合いでは高い打点で必ず勝つ」練習もしなかったし、
「針の穴を通すように欲しいところにパス」をする練習もしなかった。
画一的な同じ練習では、出来ていないものが、出来るようになるわけではない。
というか、そういう目的を持たずに練習していた。
まとめ
n年後の逆算
その時からの自戒なのだが、「今出来ないものが、なぜn年後に可能になるのか」をいつも考えないといけない。
これは別にスポーツに限ったことではないと思う。
だから、もしあなたが「部長」になりたいのであるとすれば
(部長と全く同じでなくても構わないと思う。自分の能力を伸ばしやすい部分でトータルがフラットになれば良い)
上記のことをして初めて、「n年後に自分は部長になっているだろう」と言える。
※もちろん自己プレゼンが重要だったりするけど
年齢や経験を気にせず到達したいところに参加していこう
逆に考えると、「n年の経験期間」そのものが立派なわけではない。
長年従事していることには尊敬の念を持つべきだが、
かなわないなぁと怖気づいたりだとか、謙遜するというのは全く必要が無いことだと思う。
「何年か先にあの人のようになりたい」というのであれば、
遠慮せず吸収すべきだと思う。下手すれば追い越せるはず。同じ轍を踏む必要も無いのだし。
退職エントリについて思うこと
極端に経験年数の少なさを問題するのも違うのではないかと思う。
1年ぐらいで転職します、っていう退職エントリとか呼んでても思うけど、
ああいう人たちはたいていの場合、自分の能力、実績などが突出していたりだとか、
3年かかって認識できる境地に短期スパンで到達していたりする。
ということで、「2個上の先輩は2年後の自分ではない」
(Q,E.D)
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