2020/10/29 このエントリーをはてなブックマークに追加 はてなブックマーク - 強いプラクティスによるゴールの忘却

強いプラクティスによるゴールの忘却

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みんな陥りがちだし、言われんでも分かっとるわ!的な内容ではあるのだけど、
自分の中で整理してみたくなったのでブログを書いてみる次第です。
つまりただのポエムです。


昔、サッカーをやってた時によく言われたような気がする。「練習のための練習になってないか?」

意味としては、練習をこなすことが目的になってないか。やるべきことは試合で良いプレーをすること、試合で勝つことだぞ、みたいなことだった。


プロダクト開発は常に試合かな?
なんとも言えないような気がするし、常に試合のような緊張が続くと疲弊してしまいそうだし
例えとして良くない気がしつつも、「練習のための練習」はプロダクト開発とかにも当てはまるかなと思う。
強いて言うならプロダクト開発はマラソンみたいな感じかな。内容にもよるけど。


さて、練習といえば。色んなことに色んなプラクティスがあると思う。
例えば開発手法、デザインパターン、組織のパターンとか。何かの目的のためにプラクティスはある。
これらのプラクティスがうまく導入できたぞ、やったー!で終わることってある気がしている。
あとは、それを実践しているから全てOKだ、みたいなやつ。

ゴールの忘却と書いたのはこれのことで
本来の目的を忘れてプラクティスを実施することがゴールにすり替わってないかいつも確認する必要がある気がする。
一見、銀の弾丸のようなキャッチーな言葉も単なる手法なのだということを忘れてはいけない気がしている。

一方で目的のために一旦このプラクティスをやってみよう、というのは共通認識を持つ上で良いような気はするのでそこが難しい。
あと、ゴールに導くための選択肢として色んな引き出しが頭の中にある方が良いのは間違いない。


個人的には、制度とかルールとかも大まかを測る枠線ぐらいにしか思っていないかも。
つまり、守ることが目的になってはいけないなという気がする。

いや、(法令は遵守しますし)違反はしないほうが良いんだけどそれが常に是なのかというと信じ切らないほうが良いんだろうなという気がする。そんなきれいに割り切れることばかりでもないんじゃないかと。


そんなわけで自分はなるべくならプラクティスを共通言語として口に出したりしないようにしている。
言葉に引っ張られて会話が止まっちゃうようなことがある気もするんだよな〜。

ここらへんの感覚はbufferingsさんのこの話がとてもしっくりきたりした。

結果的にスクラムになってる!なのがいいと思う! #RSGT2017(https://speakerdeck.com/bufferings/jie-guo-de-nisukuramuninatuteru-nafalsegaiitosi-u-number-rsgt2017)

目的に集中するための手段としておのずと出てくるのなら分かる。
ゴールが先で、ゴールまでの道を繋ぎ合わすのがプラクティスみたいな感じかも。
なので、アジャイルだろうがなんだろうが目的のためならチャンポンしたものでも良いと思ってる。このあたりはハイブリッドとかライトウェイトとか言っとけば世間体は良い(おい)。

bufferingsさんとかと違うかも?なのは、僕は別にスクラムとか特にどっちでも良いというところ。
それはそれで素晴らしいんだろうな〜と思うんだけど目の前のこの問題を解決したいよなみたいな感じになる(僕はスクラムとかアジャイルとかは好きでも嫌いでもない)。
どっちでも良いんだけど、その技術たちに失礼になってないかなとか解釈を取り違えてないかなとか時々は考えてみたりもする。
どっちでも良いってフリをしているだけでもある。


大義名分のために言葉を使うというとき、あえて大仰な言葉を使うというのは便利。
なので言葉の力に頼ってしまいがちなんだけど、言葉がひとり歩きしないように気をつけないとなとかってなる。
なるべくなら大義名分も自分の言葉を使うとかした方が良いのかもしれない。強い言葉に引き寄せられて目的を見失わないように。


練習のための練習をしていた(色々情報が出てくるので気が向いたらググってみてください)。
イチローの言う練習のための練習は、自分にとってはプログラミングの素振りとか写経とかブログ書くとかに近い行為な気がする(気がするだけ)。
練習のための練習も楽しいよなぁ。自覚的にやる分には良いのかも、とか思ったりもする。


イチローの話でなんとなく思い出したけど、個人的には手段は色々選べた方が良いと思うし、そこに贅沢をしたいから日々情報収集とかしたいなと思う。
suenamiさんが書いてたこれを読んだときに、うんうん分かるってなったのを覚えている。というか思い出した。

知っていてこだわらない、それがいいソフトウェアエンジニアの条件なんだと僕は思うんだ(https://a-suenami.hatenablog.com/entry/2016/08/28/130633)

手段に引っ張られているうちは、目的を見失いがちだし、目的を見失わないためには、(多分)イチローの言うような練習のための練習が必要だと思う。
suenamiさんの記事では、手段は短期のゴールだし、尺度を伸ばせばゴールもまた手段となり得ると書いてあるんだけど(ざっくり)、
今回僕が言いたいのは手段という短期ゴールで終わってしまうことが怖いよねみたいな話で、その続きも無かったっけ?って忘れてハッとすることあるよなぁという感じ。
「手段が使えるようになった、やったー!」も良いんだけど、そればっかりだとゴールには行かないよなってとこですかね。
「やったー!で、次どうすんだっけ?これがどう繋がっていくんだっけ?」がセットな感じが良いなぁと。
常々思うのは、目的のための手札をたくさん揃えていたい、手札を楽しみたい、みたいな感覚(伝わるか分からない)。


要はバランスおじさん「要はバランス」
なんでもトレードオフっていうおじさん「トレードオフですよねぇ〜」

でも例えばアジャイルソフトウェア開発宣言とかを全て守るからこそチームが強固になるとかいう必須条件にもなり得そうで僕のは軟弱者の発想なのかもしれない。
そこらへんエクストリームな人からすると生ぬるそうではある。

今回書いた話はイシューから始めよとかも大いに影響を受けたかもしれないし、受けていないかもしれない。そういう指向が自分はそもそも強いらしい。

一応断っておくと、特定の手法を強く推進する人も素晴らしいと思ってるんですよ。啓蒙家というか、最近で言うとエヴァンジェリスト的な能力があるということだと思う。


最近物忘れが激しいので、大事なことは忘れないでいたいですよね、というお話でした。






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