これはただの自戒の文章です。
自責の念は小出しにした方が良い
自分の中で明らかだからといって、なにか問題が起きた時に自責の部分を端折って他の原因分析から始めてしまう。そうすると、自分の非を認めず物のせいにする、他人のせいにする、として扱われる
確かにそうなのだがあんまり考えたことはなかったので目からウロコだった。
言われてみればそりゃそうだな、なのです。なので自分は愚かだなと思う。
手短にしたいとしても、一言「ありがとう」、なり「ゴメンね」、なり「あー、悪い事したなぁ」とか「よくなかったなぁ」とかを添えれば良いだけの話。そこの部分まで省略する必要はない。
自責を繰り返すと自責がショートカットされる
自分の場合、自分が悪い部分があるというのはもう当たり前過ぎるという前提がある。
失敗を経て、その反省と切り替えを繰り返してきた人生なので、幾度とない反復の結果その部分をショートカットするよう最適化されてしまった。
元々不器用で失敗しがちなそういった性格に加え、問題解決を繰り返す職業病的なところもあるかもしれない
仕組み的な問題解決とProblem vs. us
何度やっても、ミスりやすいところはミスる。それは自分の不注意なので自分が悪い。しかしこれは他人に置き換えても成り立つ事が多いし、「気をつける」とか「反省する」みたいな曖昧な自責ばっかりしててもしょうがないので自分がミスをしにくいような状況、環境、システムをつくる
という思考。
プログラマ的思考のような気もするが、万人がそうかは分からないので自分特有なのかもしれない。
自分は他人にも自分にもベクトルはあまり向けたくなくて、ひたすらコトに向かいたいし※1 、責任の所在はチームだったり組織だったりすると思っている(問題と私たち)
個人が一般レベルでありえない大きなミスや犯罪的な行動をしてた場合はその類いではないかもしれないが※2
基本的にミスをしようとしてミスをしている人など周りに居ないはず、という性善説的な前提がある
※1 コトに向かうみたいなありがちな表現はあまり好きではないが、分かりやすさのために使った
※2 そういった場合でもシステム的にガードは出来そう
あるべき理想と自責の念の野暮ったさ
あるべき理想と思ってるのは問題と私たち、みたいなそっち方面。
ただ、他人からみて自分が他人のせいにしていたり、モノのせいにしてたり見えるのはなんだか本末転倒である。
自分が自責の念を出すことも、他人が責任を感じて自責の念を表明することも、
個人的には割とどうでも良いというか、心意気は良いねぐらいである。
でもそんな自責ばっか考えてても仕方ないから、みんなで解決する方法を考えよう、僕らはチームでしょ?みたいな。
カッコつけずに自分の当たり前を当たり前に伝える
ただ、やっぱそこらへんの前提とかを暗黙のコンテキストにしすぎると全然伝わらないってことなんだろうなぁ。
その暗黙にしている部分をあえて声に出す口に出す、テキストとして残すとか。
そういうのが恥ずかしいと言うかカッコ悪いというか。自分はカッコつけてるんだと思う。
「そんな自明なこと言うまでもない」という心理がどこかにある。
でもそういう暗黙の部分を都度出していくというのはとても大事だよなというのをここ最近よく思う。
背中で伝えるみたいなの無理。背中なんか皆見てない。背中見せれてないかもしれないし。ほらリモート環境だと特に(?)
背中で伝わる、見て盗めるとしたら相手が優秀でこっちはサボってるだけな気もしてきている
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