「イシューからはじめよ」を読んだ。結構良かった。
別にソフトウェア開発とかそっち系ではなく、
もっと仕事をする人全般に当てはまる内容の本。
だけど、自分として役立ちそうなのものとして
- システム開発
- トラブルシューティング
- 勉強会とかの発表
という場面が思い浮かんだ。
なのでシステム開発で「開発が終わらない」とか「バグの解析が苦手」とか、
勉強会で「プレゼンの資料が上手く作れない」とか悩んだりしてる人は読むといいのかもしれない。
「イシューからはじめよ」を読んだ。結構良かった。
別にソフトウェア開発とかそっち系ではなく、
もっと仕事をする人全般に当てはまる内容の本。
だけど、自分として役立ちそうなのものとして
という場面が思い浮かんだ。
なのでシステム開発で「開発が終わらない」とか「バグの解析が苦手」とか、
勉強会で「プレゼンの資料が上手く作れない」とか悩んだりしてる人は読むといいのかもしれない。
プログラミングをするお仕事をして数年経つけど(5年ちょいぐらい)、段々と守破離が出来なくなってきた気がする。
剣道や茶道などで、修業における段階を示したもの。「守」は、師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階。「破」は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階。「離」は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階。
https://kotobank.jp/word/%E5%AE%88%E7%A0%B4%E9%9B%A2-689006より引用
この守破離という言葉は、近い職業で言うといわゆるITエンジニアの意識高い系の人たちが使っている気がするのだけど考えとしては大事と思っている。
で、出来なくなってきてると思っているのは主に「守」の部分。
トレードオフ的な。
例えば、新しい言語Aを学ぶとなったとする。
そうすると、プログラミングを初めたばかりであれば入門書から全て基本文法を覚えたりとか始める。
次に何かアプリとか作ってみようとする。そして仕事で使うとかする。
一方で、それが今の僕であれば基本文法は入門書を細かく見なくても◯◯言語のアレと同じだからやんなくても大体分かるな、となる。
A言語とB言語があった時に、AのXXXX ≒ BのXXXX とか判断出来る。
一見して便利なんだけど、全然手とか動かさなくて済んでしまう。もしくはそれで済まそうとする。記憶に残らないし身につかない。
性分として、元々あたまでっかちな方なので結構質が悪い。
言語の違いの部分だけ味見して分かった気になるとかそんな感じになってて中途半端だなぁ、、とかいうのが最近です。
ということで、僕がやっているのは守のない守破離みたいな感じになっている。かもしれない。
帽子のないマリオ、バクダンを持ってないボンバーマン、具のないカレー、みたいになんか足りない感じ。
そもそも破も離も出来ないはずなので、完全にわかったフリということになる。厳しい。
ここ最近思うのはもっと愚直にやりたいなということ。
もちろん、分かりきっていることをド初心者と同じように学ぶというのは効率が悪いのでやらないですが、もっと色んなことに真摯に向き合いたいなとか思う所存。
という自分の悩み?と自戒を書いた風のポエムでした。
うだうだ言ってないでコード書け的なやつだ。
ござ先輩さんのアレを読んだ。
Javaで「はじめてのプログラミング」を教えるのはキツイと思った話
Javaに造詣が深い方だった気がするし、色々考えた上でそういう決断するのは確かになぁーと思った。
イマドキ、Servletさわんのかぁとか思いつつ、Servletそんなムズいんだっけと思いつつ。
で、脱線して僕ならJavaの研修課題どんなものを作るかなとか考えた。
って前に聞かれたけど、スッと答えられなかったのでここに記します。
※このあたり(https://speakerdeck.com/ntaro/kotlinwoshi-meyouhanzuon-number-droidkaigi-number-droidkaigi6?slide=41)
#DroidKaigi6 みんなモクモクしてる! #kotlin pic.twitter.com/awlwcsoYg7
— DroidKaigi(Official) (@DroidKaigi) 2017年3月10日
DroidKaigi2017、運営面とても快適でした。
発表者、参加者、スタッフでうまく成り立っているかなぁという風に思い色々感謝です。
僕個人としては快く休ませてもらえた会社にも感謝です。
あ、でも会社の宣伝全然出来てないや。すんません。
(ていうか皆さん平日2daysで休み取れるなんて良い会社ですね?僕は自分の判断で1日参加でした)
あと、チューターとして誘えてもらったたろうさんにも感謝。