理解のレベルには差がある
前にたまたま思いつきで話したのだけど、 理解のレベルには差がある。 それを今回ブログに書いてみる
10の理解5の理解1の理解
Aさん「こういう技術があって、XXだからYYでZZです。分かった?」 全員「OKわかった」 となった場合、合意形成が出来ていると言える。 ただし、その事象や技術、コンテキストの理解には差がある。 話しているAさん、それを聞いているBさん、CさんDさんがいるとすると Aさんの理解度は10、BさんとCさんの理解度は5、Dさんの理解度は1みたいなことが起きがちな気がしている。
合意形成を続けると理解レベルの差で格差が生まれる
そうするとどうなるか。
同じタイミング同じ人たちが同じ説明を受けていたはずなのに、まちまちの理解をしていることになる。
これが1つの件であれば、「あぁ、確かに説明足りてなかったかな?改めて…」
みたいな展開になる
同じ「理解」で合意形成したはずなのに、知っている情報と知らない情報が生まれる
しかしこれが半年、1年と続いていくうちに
コミュニケーションの数は増え
合意形成したものの、理解度がバラバラなものが多数あり、結局チームとして意思疎通が出来てると思っていたのに期待したほど出来ていなかった、ということもある。
いつの間に、格差が生まれていたのである。
合意形成していたとしても同じ方向を見ているだけ
立ち返って、何回も出てる「合意形成」という言葉を考えると、単純に同意しただけでどのぐらい分かったとか示していないので当たり前と言えば当たり前。 「分かった」と答えたら100%理解していると思うのが そもそも傲慢な考えだということでもある(自戒も込めて)
合意形成していたとしても理解の差を埋める必要がある
結局、方向性を揃えることは出来てるので 皆で理解の差を補完しあう必要がある。つねに。 大事なのは「話す側がすべて教えるということではないこと」。 理解度1のDさんが「分からない」と意思表示するのも大事だし 理解度5のBさんやCさんが「全体は分かったけどここについては…」と掘っていくのも大事だし 一番わかっているAさんが言葉としてでてこなかった知識や背景を更に伝えたり 分からないところを見極めたりするのも大事。 あと、繰り返し、手を変え品を変え説明する、話す、というのも大事な気がする
かといって理解の差を完全に埋めることは不可能
かといって、自分と同じように他人が分かる もしくは、すごい他人と同じように自分が分かることなんてない。
補完と相互理解の関係性をつくっていくのが大事かも
あくまで、1だった理解度を2にするとか それぞれの理解度を開示し合って 前提を理解し合うという補完と相互理解的な関係性をつくるのが大事って話な気がする 完全には互いを理解できないことを理解するのだ