最近の話題な記事をいくつか見て、自分もなにか書きたくなった。
我々の愛したGoogle検索はすでに死んでいる(https://novtan.hatenablog.com/entry/2024/02/15/105259)
脱タムパ的思考論ー「言語化がスゲぇ」が実は全く凄くない理由。(https://note.com/symsonic/n/n2c491800482a)
自分としても、以前にこんな記事を書いていた。このあたりとつながるところを感じ、再考してみようと思った。
インターネットに開き続けていたい(https://yyyank.blogspot.com/2021/05/blog-post.html)
ベテランになるほどブログを書かなくなってくる(https://yyyank.blogspot.com/2023/05/blog-post.html)
大インターネット時代、溢れるコンテンツ
誰でもインターネットに繋がる時代。動画、記事、何でも見れる時代。簡単に動画投稿、記事投稿が出来る時代。コンテンツは溢れた。誰もが閲覧でき、誰もがチャンスを作れる時代であり、大量のコンテンツがインターネットには渦巻いている。
レコメンドによる探索の進化
大量のコンテンツ全てがあなたの求めるものか?
より届けたいものを示すために、各プラットフォームは進化した。具体的にはSNSのおすすめ、人気ランキングなど。
大量のコンテンツを整理し、ユーザー個別に興味の有りそうなものが並ぶ。すごい時代だよなと思う。作る側はレコメンドエンジンを工夫してよりユーザーに満足してもらうような仕掛けも出来る。
というわけで、アルゴリズムに沿って各プロダクトで考えた、あなたが「なんとなく興味のありそうなコンテンツ」が並ぶわけですが。
レコメンドが能動性と集中力を奪う
X(Twitter)、YouTube、Facebook。何でも良いが
初手、ふと目に入るページは大体決まって「なんとなく興味のありそうなコンテンツ」が並ぶようになってしまった。その時点で既に恣意的なフィルターがされていると言っても良い。
「なんとなく興味のありそうなもの」の中から、1つを選び、更に探索する。サイト内をサーフィンする。そういった流れを各サイトは作っている。
おすすめは毎回変わり、刹那的なものになり、追いかけることも困難になっている。
つまり、日々の生活は「おすすめの海」をくぐり抜けるところから始まる。それだけで集中力は奪われる。
そして、すでにフィルターされてしまったものから探索している。実は、能動的に見えてかなり受動性が高い気がする。知らず知らずに能動性を奪われるように仕向けられている。
お気に入りやマイページのようなものもあるが、ヘビーユーザー向けであり、大体は「おすすめ」がどんどん現れ、興味関心を惹く仕掛けがメインに散りばめられている。
大量コンテンツから身を守るため生まれたタイパ思考
大量のコンテンツから、限りある集中力を奪われないために、人類はタイパ思考なるものを選んだ。
「最近の若者はタイパとか効率しか考えとらん」と厄介オジサンになりたくなる一方で、大量コンテンツの溢れるSNS全盛の世の中と共に成長してきたと考えると納得行くというか、そうなるよなぁというところもある。
タイパを意識しないとSNSを見るだけで無限にコンテンツを消費して毎日が終わる。
ハックされたSEOと埋もれた個人ブログ
能動性という意味で、「自分で検索してゼロから探す」という選択肢がある。
しかしこれも冒頭で記載したブログ記事にあるように ハックされたSEOによって意味が薄れてしまった。
レコメンドと同じく「いかがでしたか?の海」「SEOの強いサイトの海」をくぐり抜けるところから始めないといけない。
厄介なことに、検索エンジンを使いこなせないと掻い潜ること自体が難しい。
レコメンドとSEOハックで埋もれる道と生まれる距離
かくして、個人ブログや個人の意見、レコメンドやSEOといった拡大レンズのないコンテンツには、顕著にたどり着きにくくなった。
元々、仕組み的にSEOやオススメに埋もれるのが常であると思うけど、より一層その傾向が増し、もはや「見えない」レベルまで来ているのかもしれない。
X(Twitter)はもはや、レコメンドやインプレゾンビ、フェイクに囲まれて周囲が見えない。
過去にコミュニティの知り合い同士で自然発生的に生まれたやりとりも、相当減ったと思う。ある意味そういった自然発生のための「自然」が減ったとも言える。
クローズドコミュニティへのサイロ化
そうなると、レコメンドや検索エンジンの邪魔の入らないところへと場所を変えるしかない。DiscordやSlackなどクローズドなコミュニティにたどり着くのもある種仕方ない。
その結果、みんな個人ブログをなかなか書かなくなるし、知見は内に閉じる。
そういったことは以前に僕が怪文書に記した。
この流れは分かる一方で、このサイロ化はどうにかしたいというのが個人的な意見。
インターネットの距離感を取り戻せ
端的に言うと、オジサンなので昔みたいな雰囲気でワイワイやりたいんや!
とだけ言うと懐古主義的なだけにも取れるけど、時代の流れとともに皆が昔のインターネットを感じられないのが勿体ないなと思うところが強い。
昔に戻る、というよりは今の時代に合わせつつ、何か良い方向性は無いかなというのを常に考えたい。
「昔は良かったよね」とか「オジサンたちはなんか楽しそうですよね」で終わりたくない感じがある。
ひとつ言えるとすれば、クローズドなコミュニティであっても良い知見は何らかのカタチでインターネットの海に放流しておいてほしいということ。開けていて欲しいということ。
道は細くても、たどり着ける道がないよりはマシということかもしれない。
レコメンドと検索エンジンを捨てる?
レコメンドや検索エンジンを特別批判したいわけではない。時代とともに変遷した結果の今なので、今悪く写ってるだけとも言える。悪いと言うより、食傷気味というのが近そう。
レコメンドや検索エンジン自体が良くなっていくのも大事だし、作る側、ユーザー側がレコメンドや検索エンジンの海をうまく乗りこなす術を更に磨くというのが、良い気がする。理想論ぽいけど。
理想はありつつ、捨てたくなるぐらいに色々な難しさを持つものになってきているという前提知識は持っておいたほうがスマートな気がする。
相対的に上がる本の価値?
レコメンドも検索もない世界で思いつくのが
本の世界である。
名著と呼ばれるような本であれば間違いないだろうというところはある。
どこかの若者が「本ってコスパがいいんですね」と言っていたというのをどこかで聞いたのが印象的。
しかし、出版自体も以前に比べて難しくはなくなってきている。
はじめは有益なことを書いてあり、読み込むうちに自分のサイトやコンテンツに誘導するような本に出会ったことが何度かある。
また詳しい人から見れば全然、的外れである本もたくさん出版されている。
そういったところを踏まえると、手放しに本だから良いと言える時代でもなくなってきている。
オープンなコミュニティ同士が見える世界、繋がる世界に貢献したい
ウダウダ書きましたが、明確に自分の答えがあるわけではありません。すみません(ここまで読んでくれ方には申し訳ないですが)
でもどうしていくのが良いのか。というのは考えてみたい。
まず、レコメンドも検索エンジンも、僕としては中の人ではないので、どちらかというと与えられた側。
与えられたものに文句ばっかり言っても仕方ないなと言う面もある。今までありがたく使ってきたのも自分である。
なので、最近は何かコミュニティなりを活性化をして、最終的にインターネットに放流しておくのが良いかななどと考えている。明確な答えがあるわけではなく、考え続けている最中。
ネットでの会話、懇親会、カンファレンス会場の廊下、二次会、登壇者とのふとした会話、帰りの電車なんでも良いけど
様々なコミュニティの活発さを作っていければなと思ったりします。
正直に言うとX(Twitter)で色々生まれにくくなってる気がするのが一番困るかもしれない。代替のSNSで同じような盛り上がりを作るのが難しそうで。
ともかく、個人レベルでやれることから、何か良い流れが作れていければと思う。微力ながら。
0 件のコメント:
コメントを投稿